クレラップ派です

自分らしい挨拶を考えよう。

挨拶の重要性についてはよく説かれる。
しかし挨拶そのものについては説かれない。
挨拶というと第一印象やコミュニケーションの話ばかりである。

挨拶は人間関係の基本であり、
それと同時に自分というキャラクターを
世間に認知させるものである。
挨拶は毎日するものであるから、
日々その印象は確たるものへ変わってゆく。
挨拶とは最も手軽でありながら、
効果的な印象の刷り込み手段なのだ。

それは自分ですら例外ではない。
ひどくひねくれた君ではあるが、
挨拶によって君は変えられていく。
挨拶とは自他へのイメージ戦略なのだ。


挨拶は君の印象を変えることができる。
新しいコミュニティは言うまでもないが、
既に充分あなたの評価が低いコミュニティであっても、印象を変えることはできる。
挨拶にはそれくらい力がある。


ではあなたはどのような人物と見られたいのか。
そしてそれを実現する挨拶とはなにか。

まずはどのような人物かだ。
庶民が望みそうなところで考えよう。
明るく快活でユーモアがある、いかがだろうか。
君には高望みであろうが文句はあるまい。


では明るく快活でユーモアある人の挨拶とはなんであろう。
真逆に位置する君には難しいかもしれない。
しかし、真実はいつもシンプルだ。


実は大人も子供も一世を風靡した挨拶がある。



「おっはー」


これだ。
陰鬱な朝を跳ね返す軽やかなリズム。
親しみを感じさせる砕けたフレーズ。
そこはかとなく漂うトレンディの名残。
そして滲み出るユーモアセンス。


これほど完全なる挨拶があろうか。
丸の内OL(死語)にもバカウケ(死語)必至。
是非とも今から誰彼構わず挨拶するがいい。


なお、もう使ってるよというあなた。
そろそろやめた方がいいかもしれない。




ここで一句。


万華鏡 ときめく心 13歳




そこのあなた。
試しに「さんぽー」と打って、
変換候補を見てください。
思わずどこだよそれと言ってしまうと思います。
私だけだったらごめんなさい。







日本人ほどどの世代も満遍なく
ロボアニメを見ている国民は珍しい。
これは魔法少女と言い換えてもいい。

なんかもう、
日本人はロボと魔法少女でできていると言っていい気がする。

いまは世代的に全人口をカバーできていないが、
世代交代が進むと近い将来本当に全日本人が、
人格形成にロボか魔法少女から何らかの影響を受けたという状況になる。
これは国民性と言って差し支えないレベルだ。

実際のところ、
国民性が故にロボと魔法少女が蔓延しているのか、
ロボと魔法少女が国民性を作るのかは研究結果を待ちたいが、
恐らくは両方とも真であろうと思う。

これが良いか悪いかは分からないが、
少なくとも日本の未来を考える上で、
熟慮する必要があることだと思う。
いや、ほんとに。